日本初の女子プロ野球選手となった方をご存じでしょうか?
正解は「吉田えり」。彼女は男女含めても投げることのなかなかできない球種である「ナックル」を駆使してピッチャーを務めていたことから
『ナックル姫』の通称でファンや野球関係者から愛されていた選手です。
今回はそんな彼女について「吉田えりのwikiプロフと経歴!日本初の女子プロ野球選手」と題して、プロフィールや経歴についてまとめていきます。
吉田えりのwikiプロフ!
吉田えりは1992年1月17日生まれの29歳になります。
神奈川県横浜市出身で、小学校・中学校ともに地元の市立学校を卒業しています。
また、高校2年時に「関西独立リーグ」のドラフト会議で神戸9クルーズから7順目指名を受けたことにより、
当時通っていた川崎北高校を退学し、KTC中央高校(屋久島おおぞら高等学校のサポート校)へ転籍しています。
身長は155cm、体重は55kgとのことで、日本プロ野球界の中では小柄な選手ですね。
2歳年上のお兄さんがおり、その影響で小学2年生のころから野球に暮れる日々が始まりました。なお、中学3年までは軟式野球を極めており、中学校の部活ではファーストでレギュラーの座を獲得。部活を引退した直後から、自身の父親の勧めで硬式野球に転向しました。
高校1年から進学先に「プロ野球選手」と書いてきた女子高生だったようで、夢をきっちり叶えられました。
栃木を熱く語りこよなく愛す吉田えりエイジェック女子野球野球部チームディレクター最高だじょ〜〜‼️#滋賀ユナイテッド #エイジェック #女子野球 #応援 #発展 #感謝 #吉田えり #人柄 #抜群 #野球好きな人 pic.twitter.com/nbf7hq4NPj
— オセアン滋賀ブラックス【公式】 (@oceanshiga) February 23, 2018
なお、「ナックル姫」と呼ばれる彼女は、元々上述のとおりファーストを守っていました。
しかし、「男子に勝つためには投手しかない」という自身の父親に勧められたこともあり投手へ変更。
独特のサイドスローからナックルを繰り出す姿が印象的で、基本的にストレートとナックルを駆使してピッチングしてきました。
「ナックルだけでは勝っていけない」と、学生時代から続けてきた投球フォームを一新し、球種もカーブ、シュート、ナックルボールと多彩にになりました。
また、以前のような「基本ピッチングはナックル」ではなくなり、変化球主体の投球スタイルに変更されました。
吉田えりの経歴
プロ入団~引退
吉田えりは2008年11月の関西独立リーグの合同トライアウトに合格しており、上述のとおり、同リーグのドラフト会議で神戸9クルーズから7巡目で指名を受けて契約することになりました。
その結果、日本人初の「男子と同一チームでプレーする女子プロ野球選手」となりました。
これは、「日本プロ野球リーグに所属する女子選手」は今までに存在せず、日本女子野球連盟(1950年 – 1951年)以来初めての快挙となります。
そんな彼女のデビュー戦は、2009年3月。
関西独立リーグ開幕戦に9回裏から2番手としてリリーフピッチャーを任され、初登板しました。
その後、10月に神戸9クルーズを退団し、「アメリカの球団からオファーがあった場合はそちらを優先する」という条件で
12月にジャパン・フューチャーベースボールリーグの三重スリーアローズへ入団しました。
相当な覚悟と決意の結果もあり、2010年から2011年までアメリカ独立リーグに属する「チコ・アウトローズ」でプレーしました。
帰国後は兵庫ブルーサンダーズや、アメリカで行われるサマーリーグに日本人単独チームサムライALL Japanを経て、
再び前出のアメリカ・チコ・アウトローズに戻っています。
それからアメリカ独立リーグ内で「マウイ・イカイカ」に移籍し、女性選手としては、アメリカ独立リーグ史上2人目となる勝利投手に輝いています。
信じられないくらいの挫折があったと思いますが、何度も立ち直り、見えない壁に挑戦していく姿がとても好意的です。
2012年に日本へ帰国し、プロ入り以来3年ぶりに関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズへ入団しました。
そこで、関西独立リーグ史上初の女性勝利投手となりました。
2013年はマウイ・イカイカでプレーしたのち、8月より石川ミリオンスターズに選手兼営業担当のフロントとして入団しました。
2017年シーズンより栃木ゴールデンブレーブスに所属しましたが、公式戦登板がないまま、2017年6月に怪我の治療に専念するためとして、練習生契約へ変更となり、10月には自由契約、そのまま退団する運びとなりました。
引退後
2017年11月からは、エイジェックの女子硬式野球チームの監督に就任するとともに投手と外野手の選手も兼任しています。
長きにわたるプロ野球選手としての人生を若干29歳にして経験していることを考えてみると、その経験の豊富さが次の事業や人生にも生かされてくることは間違いなさそうですね。
過去には「つらい日が多かった」という発言もあったことから、今後は現在勤めている監督職にとどまらず、女性プロ野球選手を増やしていく活動や、女性野球リーグの設立など、広い枠での活躍が期待されています。
まとめ
高校2年で国内独立リーグからドラフト指名され、29歳の若さにしてすでにプロとして生活して12年。
「日本初の女子プロ野球選手」という肩書だけでなく、アメリカで独立リーグ史上2人目など、数多くの結果を残してきたことも含め、今後の足取りにもかなり注目されそうです。
また、今回紹介した経歴を振り返っただけでもこの野球人生は容易でなかったことがわかると思います。
ですが、そんな中でも常に前向きで挑戦し続ける姿勢に記事を書いている僕自身背中を押されている気持ちになりました。
今回は「吉田えりのwikiプロフと経歴!日本初の女子プロ野球選手」と題して、吉田えりについてまとめてみました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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