大奥

大奥が由来で現在も使われている言葉とは?成り立ちも詳しく解説!

よくテレビや映画、漫画の題材にもなる大奥。きらびやかな江戸城の女の闘い、将軍との駆け引き・・・などまるで絵巻物のような世界が広がっていたといわれていますよね。
今の時代を考えると、実際にそんなことが起こっていたのかもにわかに信じられませんが、そんな大奥と現代を生きる私たちが近づくことのできるツールがあります。
それは「言葉」です。

大奥が消滅したのは今からかれこれ150年も前。全盛期だったころは250年から300年前になりますので、そんな古くからの言葉?と思ってしまいがちですが、実は今を生きる私たちが頻繁に使っている言葉で、大奥が由来のものは意外とあるんです。

そこでこの記事では、大奥由来の言葉とその成り立ちを詳しく解説していきたいと思います。



玉の輿

まずは『玉の輿(たまのこし)』です。一般的な意味としては、主に女性がお金や財産が裕福な家庭に嫁ぎ、その女性自身も富裕層になる事を指しますよね。
この言葉は大奥由来でできた言葉と言われています。
この言葉の裏には、今の『玉の輿』という言葉を凌駕するようなシンデレラストーリーが隠されていたのです。

徳川五代将軍の母親が由来?

五代将軍「徳川綱吉」の母親はかつて「お玉」という名前で、江戸城で女中として働いていました。
そんなお玉ですが産まれは『徳川実紀』という徳川の公式文書によれば、父は関白・二条光平の家司である北小路(本庄)太郎兵衛宗正、と明記されているのですが・・・。

当時から実際のところはそこまで高貴な身分ではなく、大根売りの妹という説や、父が八百屋の仁左衛門という説などがありました。
そのほか畳屋の娘だった説、西陣織屋の娘だった説などがあり、正直はっきりした身分ではありませんが、商人の娘だった説が多いです。

そのため、将軍に直接お目見えすることの叶わない身分の低い侍女として働いていたといわれています。

ところが、三代将軍「徳川家光」がたまたまお玉を見かけ、その美貌に惚れ込み、なんと側室にしてしまったのです!
こうしてお玉は「お玉の方」として、侍女からかなり位をアップします。
八百屋だか畳屋だかの娘であった『お玉』があっという間にその美貌で将軍をとりこにして、将軍の奥様になった、というのが『玉の輿』の由来と言われています。

お玉のその後

その後、お玉がどうなったかというと、その後は次の将軍も決まっていたことで、お玉は男児も産みましたがそこまで注目されることはなかったのです。
ところが、家光亡き後四代将軍として君臨した「徳川家綱」が跡継ぎを残さず死去したことにより、お玉が生んだ男児が次の将軍になることが決定
商人の娘から将軍の母になり、大奥の中で一番の発言力を持つようになったのです。

輿入れだけでなく、夫であった家光の死後さらに権力と富を手に入れた『お玉』はまさに『玉の輿』にぴったりの女性だったというわけです。

おさんどん

続いて、「おさんどん」です。今もたまに高齢の方などが使う事もありますね。台所仕事のことをいいます。

こちらは大奥で実際にあった身分「御三之間詰(おさんのまづめ)」が語源と言われています。もともとは、台所仕事だけでなく、台所仕事をする下女のことでした。
御三之間詰とは、御三之間という部屋より奥の部屋の掃除や位の高い女中の詰め所の雑用をしていた人たちのことで、そこから女性の雑用係として台所仕事を「御三」+「人の名前の最後につける~どん」で「おさんどん」となったという説があります。
他にも説はありますが、この説も辞書に掲載があったので、ここでは採用させていただきました。

お局様

続いて『お局様(おつぼねさま)』です。現在の意味では、職場などで勤続年数が長く、特に同性の同僚に対して力をもっている女性のことを言いますよね。それも、かなり悪い意味で使われています。疎まれている勤続年数の長い、ビッグマウスの女性という意味の方が分かりやすいでしょうか。
こちらの言葉も、大奥と密接にかかわりがあると言われています。

もともとの「局」とは

まず、もともとの「局」という意味をお伝えしましょう。
局とは、仕切りのある個室のことでした。個室を与えられると女中や侍女である、という事は、そこそこの身分の侍女ということになります。
すなわち、もともとはというと、局という言葉は、指導する地位にいた女性に対して扱われていた言葉だったのです。

実際有名な人物として「春日局」や「阿茶局」などがいますが、二人とも大奥の取り仕切りや将軍の教育などに尽力した指導する女性であった部分でいうと正しい使われ方をしていたと言えます。

現在の「お局様」になった理由

大奥があった当時は、「お局様」と嫌味を含めた呼び方はされていませんでした。
この不名誉な呼ばれ方の理由はなんと大河ドラマだったと言われています。
1989年に放送された、NHK大河ドラマはその名もずばり「春日局」。主演は今は亡き昭和の名女優大原麗子さんでした。
この大河ドラマでは、通常気が強く烈女というイメージだった春日局を、徳川家光の乳母として献身的に支え、母代わりとして奮闘する姿としてとらえた作品でした。

ところが、家光を将軍にすべくかずかずの奮闘っぷりが描かれ、家光が将軍になってからもかなりの力を持った春日局は、「口うるさい」「おせっかい」と思われがちな、それはそれはまるでオフィス内で力を持った女性社員と重なって映った方もいらっしゃったようで・・・。

この大河ドラマが大ヒットしたこともあり、「お局様」という言葉が現在のような意味で世間に広まってしまったと言われています。
春日局も天国で「どういうこと!?」と怒っているかもしれませんね。

奥さん

最後に「奥さん」という言葉の由来です。
現在では自分の嫁・妻のことを親しみを込めて「うちの奥さんが~」などと呼んだりしますよね。
この語源も大奥由来ではありませんが、「大奥」という言葉のなりたちに密接にかかわっていました。

「大奥」の由来と「奥さん」の由来は同じ?

よく考えると、「大奥」という言葉自体にも「奥」という言葉が使われていますよね。
実は、「奥さん」という言葉も由来はほぼ同じなのです。

もともとはというと、室町時代に書かれた『北条幻庵覚書(ほうじょうげんあんおぼえがき)』という文書に、「おくがた」という奥様・奥さんの大元の言葉と言われている内容が記されていました。
当時の「おくがた」は「奥の方の部屋」(おくのかたのへや)という意味でした。
そこから時代が進むにつれて次第に「おくがた」は「奥様」の意味へと転じていくのです。

割と大きなお屋敷に住む身分の高い男性は、そもそも奥の方の部屋に配偶者を住まわせていました。
そこから、屋敷の主の妻のことを敬意を込めて奥の方に住む女性、女の主のことを「奥方」「奥方様」などと呼ぶようになったのです。

そこから次第に「奥様」(奥にいる女性に敬意をもって様、をつける)「奥さん」(自分の妻を親しみを込めて使う)に転じていきました。

そして、将軍の家に関してですが、男性もいる「表」、将軍の住居である「中奥」、そして一番奥の将軍以外全員女性という場所を「大奥」と呼び分け、しっかりと役割を分けました。やはり一番奥にいるのは女性たちで、これは室町時代の覚書から変わらぬ習慣だったのです。
つまり、室町時代の「おくがた」から「奥さん」「大奥」と名前は転じたものの、女性のことを「奥」と表現したのは変わりませんでした。

現在はワンルームのアパートに住んでいても、妻のことは「奥様」「奥さん」と呼びますが、由来を考えると昔の女性が表に出ず陰から支えてきた奥ゆかしさを感じますね。

最後に

大奥の中で使われた言葉や、大奥由来の言葉が現代にも力を持っているとなると、遠かった大奥という存在が近く感じられますね。
これからも普段何気なく使っている言葉の語源を調べてみるといろいろな発見ができると思いますので、注目してみると楽しいですよ。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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Yumi

TVがない田舎生活を始めて6年。東京生まれ東京育ちですが、人混みは苦手です。会社員の傍、ライターやHP制作、SNS集客など複業としてWEB業務を幅広く行なっています。夢は子供も大人も自由に集まり、成長を見守り応援しあえる温かい居場所を作ること。

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