人物

増田善信のwikiプロフ!経歴・学歴もわかりやすくまとめ!

この記事では気象学者の増田善信(ますだよしのぶ)さんについてまとめています。

  • 増田善信さんのwikiプロフや経歴、学歴は?
  • 増田善信さんが学生時代や戦争中に体験した事とは?
  • 増田善信さんのこれまでの活動は?
こんな疑問に答えていくよ!

増田善信さんと言えば、日本学術会議の会員任命拒否への反対著名運動をたった一人でやろうと立ち上げたことで話題になりましたね。

増田善信さん自身も1977~1984年まで日本学術会議の会員だったのです。

増田善信さんってどんな人? 30年以上も前の会員だった増田善信さんを動かしたものは何だったの?

きっとこのような疑問を持たれたことと思います。

そこで「増田善信のwikiプロフ!経歴・学歴もわかりやすくまとめ!」と題してご紹介していきます。





増田善信さんのwikiプロフや経歴・学歴のまとめ

””

名前:増田善信(ますだよしのぶ)
生年月日:1923年生まれ
出生地:京都府
職業:気象学者

増田善信の経歴・学歴

1949年 中央気象台付属気象技術官養成所(現気象大学校)研究科卒業
1949~1959年 気象研究所に勤務
1959~1978年 気象庁予報部電子計算室(現数値予報課)予報官
1959年 日本気象学会賞
1961年 理学博士(台風の進路予報に関する数値的研究、東京大学)
1977~1984年 日本学術会議会員(第11・12期、第4部・地球物理学)
1978~1984年 気象研究所予報研究部第1研究室長
1984年 退職
著書
  • 異常気象学入門―地球温暖化を理解するための(B&Tブックス)
  • 数値予報―その理論と実際(気象学のプロムナード第3)
  • 核の冬―核戦争と気象異変
  • 地球環境が危ない など

増田善信さんが学生時代や戦争中に体験した事

増田善信さんは1923年9月京都府で生まれ、98歳の気象学者です。

日本学術会議の会員任命拒否への反対著名運動をたった一人でやろうと、30年以上も前に会員だった増田善信さんを動かしたものは人生の中で経験した数々の不合理によるものだそうです。

貧しさから体験した不合理

増田善信さんは農家の生まれで貧しい生活をされていました。

貧しい中、中学(今の高校)に入学されましたが進学したのは80軒の村の中で3名だけだったそうです。

この3名は地主の息子さん教師の娘さんで、農家の出は増田善信さんだけでした。

この時代、農家の家の子供が学校に行くというのは簡単ではなかったといいます。

勉強したいという思いの強かった増田善信さんもその思いを支えたご家族も当時では珍しかったのではないでしょうか。

中学に入るためには現金収入が必要なため、貧しい農家であった増田家は小作を始めたそうです。

増田善信さんは毎年年末に地主のうちに年貢であるお米を運ぶ父親の手伝いをしながらこう思ったそうです。

「こんな不合理なことはない。」と。

この経験は今後すべての不合理に対して敏感になった原点のようです。

 

戦時中に体験した不合理

増田善信さんは第二次世界大戦中、海軍少尉として島根県の基地で気象観測に携わっていました。

増田さんは戦争中の以下の経験から不合理な日本を作ってはならないという思いに至ったとのことです。

  • 自らの気象観測によって特攻隊の若者を送り出した経験
  • 漁師さんが台風が来るようだと気象台に聴きに来ても一切気象情報を口外することができなかった経験

その時の様子が書かれているのがこちらです。

戦争末期は海軍少尉で、島根県出雲大社近くの大社基地に勤務し、終戦直前の8月6,7,8日の3回、3人乗りの陸上攻撃機「銀河」を使った沖縄特攻に飛び立つ兵士に、沖縄への航路と那覇港の天気予報を教えて見送りました。ほとんどグラマンの餌食になり、帰ってきませんでした。みすみす死にに行くのかと思いましたが、勿論、黙っていました。特に私が不合理と思ったのは「今に”神風”が吹くから、必ず勝つ」という標語でした。気象の専門家として、「”神風”など吹くはずはない」と確信していましたが、そのことを口に出すことはできませんでした。

引用元:change.org

1945年8月6~8日といえば、8月15日に戦争が終結される10日ほど前の出来事で増田善信さんはまだ22歳の若者でした。

戦争は多くの方が亡くなり本当に悲惨で二度と起こってほしくありません。

でも当時はみんなが国の為にと命をささげていました。

当時の考え方や環境は今とはまるで違うため、正しいと教えられていたことのちに間違っていたという考えに変わることの多い時代です。

正しいと思っていたことがそうではなかった、それが誰かの命がかかわっていたとなるとその心情は計り知れません。

増田善信さんはこの戦争中の経験から不条理に対して許せないという思いが強くなりました。

増田善信さんを変えた出来事

実は増田善信さんは戦後の1949年に気象研究所に入るまでは、まだまだ伝統的な秩序を重んじる「右寄り」な考えの方だったそうです。

気象研究所に入社した時、研究所では3割の人のリストラが行われている中での採用でした。

そこでリストラされようとしている3人の子供を持つ52歳の方と出会いました。

父親と同じ年齢のが泣いて辞めさせないでほしいと頼む姿に、増田さんの父親と重なり考え方が変わったと言います。

そして「二・二六事件」「五・十五事件」について書かれた本を熟読し心酔し、「右寄り」な考えが変わったそうです。

増田善信さんの活動

増田善信さんはこうした様々な不合理の体験から世の中を平和にしたいという思いで活動されています。

特に戦時中の体験から『天気予報は平和のシンボル』と常々言われ、戦争の為に犠牲になった方たちの為に力を尽くしています。

その代表的なものが「黒い雨」です。

黒い雨の活動

広島に原爆が落とされたことによって強い放射能を持つ「黒い雨」がふり、その雨を浴びたことで爆心から離れた地域の人も被爆しました。

しかし「被爆」を認められていない地域もあり、被爆者健康手帳の交付が認められない地域もありました。

増田善信さんは、この時も不合理を感じられたのでしょう。

増田善信さんは被爆者の訴えによって「黒い雨」が降った地域を再調査し1985年に「増田雨域」を発表しました。

2020年の「黒い雨訴訟判決」の判決ではこの「増田雨域」が採用されました

増田善信さんは2020年の8月に「黒い雨」の講演活動をされており、35年前の被爆された方々との約束を守ろうと今も努力されています。

 

日本学術会議の会員任命拒否への反対著名運動

そして今回の日本学術会議の任命拒否の撤回を求めての著名活動です。

日本学術会議が推薦した105人のうち菅首相は99人は任命しましたが、残り6人を任命しなかったため、増田善信さんが任命拒否の撤回を求めて著名活動を始めました。

この活動も「二度と戦争中のような不合理を日本は作ってはならない」という思いからだそうです。

増田善信さんは今回の日本学術会議の件が学会発足時の「戦争につながる研究はしない」という決議を放棄させるのではないかと危惧されています。

 

まとめ

以上「増田善信のwikiプロフ!経歴・学歴もわかりやすくまとめ!」と題して以下の事をまとめてみました。

  • 増田善信さんのwikiプロフや経歴・学歴のまとめ
  • 増田善信さんが学生時代や戦争中に体験した事
  • 増田善信さんの活動

増田善信さんは人生の大先輩です。

現在でもツイッターでいろいろな意見をつぶやかれていてとても勉強になります。

やはりいろいろな経験をされている方の言葉は重みがありますね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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Yumi

TVがない田舎生活を始めて6年。東京生まれ東京育ちですが、人混みは苦手です。会社員の傍、ライターやHP制作、SNS集客など複業としてWEB業務を幅広く行なっています。夢は子供も大人も自由に集まり、成長を見守り応援しあえる温かい居場所を作ること。

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